東京地方裁判所 昭和42年(ワ)7930号 判決 1969年9月04日
原告 クワイ・スン・ユン・イン
右訴訟代理人弁護士 持田幸作
右訴訟復代理人弁護士 外山三津弥
被告 国
右代表者法務大臣 西郷吉之助
右指定代理人 森脇郁美
<ほか一名>
被告 日本空港ビルディング株式会社
右代表者代表取締役 阿部泰夫
同 太田繁之
右訴訟代理人弁護士 司波実
同 楠田進
右訴訟復代理人弁護士 斉藤浩二
同 町田健次
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、原告
1 被告両名は原告に対し、連帯して金三、二三〇、九九七円およびこれに対する昭和四二年六月一三日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告両名の連帯負担とする。
との判決ならびに仮執行の宣言
二、被告両名
主文同旨の判決
被告国は予備的に仮執行免脱の宣言
第二、当事者の申立
一、原告の請求原因
1 原告は中国系イギリス人であるが、昭和四二年六月一三日午後八時一七分BOAC旅客機九一二号便の旅客として東京都大田区江戸貝町東京国際空港(以下羽田空港という)に到着し、同日午後八時四〇分頃同所東京国際空港ターミナルビル内旅客通路を歩いて入国管理検疫第二待合室に入ろうとした際同室入口付近で転倒して左膝蓋骨骨折の傷害を負った。原告は即日聖路加国際病院に入院して同年七月八日同病院を退院し、夫シー・シェン・クワイと共に渡米して米国カルフォルニア州マチネイ町コントラ・コスタ・カウンティ病院で治療を受けた。
2 原告が転倒したのは、右旅客通路と待合室との境の床に設置してある、通路側の床面から一ないし一・五センチメートル突き出て、その角の部分が鋭利な直角をなしている巾三センチメートルのステンレススチール製ドア止め金(以下本件靴摺りという)に左足つま先が引掛かってつまづき、更にその反動で右通路床面に塗られたワックスのため左足が後方に滑ったことが原因である。
3(一)、前記旅客通路は被告日本空港ビルディング株式会社(以下被告会社という)が所有、管理するものであり、本件靴摺りを含むドア等通路と待合室との境の施設は被告両名が共同で所有、管理し、公の目的に供用されているものである。
(二)、右待合室入口付近は羽田空港に到着した老若男女の乗客が入国手続のため必然的に通行する場所であり右乗客等は必ずしも注意の行届いた者ばかりではなく、飛行機による旅行のため疲労した中老年の男女も当然含まれることを考えると、そのような場所に前記2のような構造の本件靴摺りを設置したことは、土地工作物、公の営造物の設置の瑕疵である。更に本件靴摺りの上におおいをかける、本件靴摺りの通路側に自然な傾斜のコンクリートを打つ、足元に注意せよ等の表示をするなどして容易に危険の防止をはかることができるのに、何らの措置をとらず漫然とこれを放置したことは、土地工作物、公の営造物の管理の瑕疵である。
(三)、被告会社が前記旅客通路にワックスを塗った後これを充分に拭き取らず、あるいは滑り止めワックスを用いなかったことは、土地工作物の管理の瑕疵である。
(四)、本件事故現場である第二待合室入口付近は、同入口に向ってその左方約一メートルの位置に約二〇センチメートル角の四角の柱があり、前記旅客通路を同入口へ向って通行して来た場合、右入口がその柱の陰になってそのドア付近の構造を見通すことができない状況となっている。このような位置に右柱が存在することは、被告会社所有の建物の設置の瑕疵である。
(五)、本件事故発生当時、第二待合室と旅客通路の境のドアは開放されていて、本件靴摺りが突き出ていることは気付かれにくい状態にあった。このような状況の下で、本件靴摺にゴムのおおいをかける、あるいは足元に注意するよう注意を喚起する等の措置をとらず放置したのは、被告両名の過失である。
4 損害≪省略≫
5 よって、被告国は国家賠償法二条一項、民法七一九条一項により、被告会社は民法七一七条一項、七一九条一項により、予備的に被告両名は民法七〇九条七一九条一項により、原告に対して金三、二三〇、九九七円およびこれに対する昭和四二年六月一三日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金を連帯して支払う義務がある。
≪以下事実省略≫
理由
一、原告が、昭和四二年六月一三日午後八時四〇分頃東京都大田区江戸貝町東京国際空港ターミナルビル内旅客通路を歩行して、入国管理検疫第二待合室に入ろうとした際、同室入口附近で転倒して負傷し、ただちに聖路加国際病院に入院した事実は、当事者間に争いがない。原告が中国系イギリス人であって、同日午後八時一七分にBOAC旅客機九一二号便の旅客として同所羽田空港に到着したものであること、原告が右転倒によって左膝蓋骨骨折の傷害を負い、聖路加国際病院において同月一五日手術を受け、同年七月八日退院して夫シー・シェン・クワイと共に渡米し、米国カリフォルニア州マチネイ町コントラ・コスタ・カウンティ病院で治療を受けたことは、≪証拠省略≫によってこれを認めることができ、右認定に反する証拠はない。
二、当裁判所の検証の結果によれば、前記旅客通路と第二待合室との境の床に通路側床面から一・四センチメートル突出した別紙図面第二図第三図のとおりの構造のステンレススチール製靴摺りがドア開口部の巾一ぱいに設置してある事実が認められる。
原告は右旅客通路の床面にワックスが塗られていた旨主張するが、≪証拠判断省略≫右事実を認めるに足る証拠はない。
≪証拠省略≫によれば、原告が転倒した原因は、前記旅客通路から第二待合室に入ろうとした原告の左足が本件靴摺りの突出部の通路側の面につまづき、その反動で左足が後方に滑ったためであること、これがため、原告は転倒の際左膝部を本件靴摺りで強打したことが認められ、右認定に反する証拠はない。
三、前記旅客通路を被告会社が所有、管理していたことは当事者間に争いがない。本件靴摺りを含むドア等通路と待合室との境の施設が運輸省所管の行政財産であることは、原告と被告国との間において争いがないから、右施設は公の目的に供せられる国の営造物の一部というべきである。
原告は本件靴摺りを含むドア等通路と待合室との境の施設は、被告両名が共同で所有、管理するものである旨主張するが、右施設が被告会社の所有管理するものであることを認めるに足る証拠はない。
四、そこで、前記認定のような本件靴摺を設置したことが、公の営造物の設置の瑕疵であるとの原告の主張について判断する。公の営造物が通常備えるべき性質や設備を具備せず、これがため安全性に欠ける所がある場合は、その営造物に瑕疵があると言いうるのであるが、具体的な営造物が通常いかなる性質や設備を備えるべきかについては、当該営造物の構造、その構造自体の危険性の程度、用途、場所的環境、利用状況等諸般の事情を総合して、具体的に通常予想される危険の発生を防止するに足りると認められる程度のものであることを必要とし、かつこれをもって足りるものである。本件についてこれを見ると、≪証拠省略≫を総合すれば、国外から羽田空港に到着した国際旅客は、各航空会社係員に案内されてフィンガーから前記旅客通路を通って本件第二待合室を含む第一ないし第三の入国管理検疫待合室に至り、検疫、税関検査を受けるまでここで待機することとなっていること、本件靴摺りが前記二で認定した構造に設計されたのは当時右各待合室は直接外気にさらされる位置にあったので、待合室内部で空気調整(冷暖房)を行なうについては、ドアを閉じた場合の気密性を高めてその効率を良くする必要があったためであること、および本件靴摺りの如く床面から突出した構造の靴摺りは戸当り型と呼ばれ、平型と並んで一般的な靴摺りの形式で古くから用いられているものであり廊下と部屋、屋内と屋外の境のドアのように通気量の大きい所には冷暖房負荷を減らすためあるいは外部からの雨の吹き込みを防ぐため特に高低差をつけた構造に設計製作されているものであることが認められる。思うに、入国管理検疫待合室を利用する多数の旅客の中には、必ずしも注意の行き届いた者ばかりでなく、幼児、老人、旅行のため疲労した者等注意力の低下した者があることは予想されるところであるから、その通路に通行の障害になるおそれのあるものを設置することは、できるだけ避けなければならないことは言うまでもないことであるが、一方多数の旅客が快適に同待合室を利用するために、同室内において暖房、冷房等の空気調整を行なうことも又要求されるところであり、その空気調整の効率を高めるためには本件靴摺りのような構造の靴摺りを設置する必要があったものということができる。そして本件靴摺りの構造は前示のとおり床面からわずかに一・四センチメートル突出しているにすぎないものであり、通常の場合の人の歩き方から考えても、本件靴摺りの上を通過する人がそれにつまづく蓋然性は極めて低いと考えられる。更に右挙示の証拠によれば、待合室はフィンガー側から見て旅客通路の左側に手前から第一、第二、第三の順にならんでおり通路と待合室の間はドア開口部を除いてはガラス製の仕切り壁で仕切られていること、第一、第二待合室前の旅客通路には三〇センチメートル×二二センチメートルの柱が五本あるが(別紙図面第一図、第二図参照)旅客通路から第二待合室入口のドアの構造、旅客通路と待合室の間のガラス製の仕切り壁の存在を見通すには支障のないことが認められ、これらの事実によれば通行者が本件靴摺りの存在を直接認識し、あるいはガラス製の仕切り壁の存在を認識して、自分が通路部分と区切られた部分に入ろうとしていること、従ってその境界に高低差があったり本件のような靴摺りのようなものがあるやも知れぬことを予測して、これにつまづかないようにすることは、ごく軽度の注意を払えば可能であることが認められる。従って、他に本件靴摺りが設置された場所は特に見通しの悪い場所であるとか、あるいは周囲に歩行者の注意を惹く物があるとか通行者が多く充分前方を見ることができない等の事情の認められないかぎり、充分な注意力を有しない幼児老人、疲労した者等ではあっても、独力で歩行し外国旅行をしている者に対して、前記のようなごく軽度の注意を払うことによって自己の前方に存在する障害物を認識しこれをさけることを期待することは、社会通念から見ても相当というべきである。従って利用者が右の程度の注意を払うことを期待して設置された本件靴摺りは、通常予想される危険の発生を防止するに足りる性質を有しているものと解すべきであり、本件靴摺りの設置に瑕疵があるとはいえない。
五、次に土地工作物、公の営造物である本件靴摺りの管理に瑕疵があった旨の主張について判断する。≪証拠省略≫を総合すれば、本件靴摺りについて、その上におおいをかける、その通路側に自然な傾斜のコンクリートを打つ、その付近に足元に注意せよなどと表示をなす等の措置がとられていなかったことが認められる。しかしながら、前記四で認定したように、本件靴摺りは通常予想される危険の発生を防止するに足りる性質を有しているものであるから、右のような措置をとることは万全を期する意味で望ましいことではあるが、そのような措置をとらなかったからと言ってただちに旅客通路から待合室への入口が通常具備すべき安全性を欠いているとは認めがたく、本件靴摺りの管理に瑕疵があったとはいえない。他に本件靴摺りの管理に瑕疵があることを認めるに足る証拠はない。
六(一)、前記二で述べたとおり、被告会社が本件旅客通路にワックスを塗った事実は認められないから、旅客通路の管理に瑕疵があった旨の原告の主張もまた理由がない。
(二)、原告は、第二待合室に向ってその左方約一メートルの位置に柱が設置されているのは、被告会社所有の建物の設置の瑕疵である旨主張するので判断するに、第一、第二待合室前の旅客通路に三〇センチメートル×二二センチメートルの柱が五本存在すること、旅客通路を通行して来た旅客が柱の間から第二待合室入口のドアの状況、旅客通路と待合室の間のガラス製仕切り壁の状況を容易に見通せることは前記認定のとおりであり、右のような柱の存在をもって本件旅客通路あるいは空港ビルが通常備えるべき性質や設備を具備しないものとは認められず、建物の設置に瑕疵があるとはいえない。
(三)、更に原告は、被告両名の過失を主張するのでこれについて判断すると、本件事故発生当時旅客通路と第二待合室の境のドアが開放されていたことは当事者間に争いがなく、被告らが原告主張のような措置をとらなかったことは前記五で認定したとおりである。しかしながら、前記四で認定したとおり、本件靴摺りが通常予想される危険の発生を防止するに足りる性質を有していたものである以上、さらに原告主張のような措置をとるべき注意義務を被告両名に課するべきではない。
従って、被告らが原告主張の措置をとらなかったとしても、被告らに過失があるとはいえない。
七、以上のとおり、被告両名が損害賠償義務を負うべき旨の原告の主張は、いずれもこれを認めることができないから、原告の請求は、損害額に関する主張について判断するまでもなく、失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 渡辺忠之 裁判官 山本和敏 西田美昭)
<以下省略>